ゆかりでございます

ヴァイオリン弾きの日記。

ありがとうございます

ご縁あって、突然いただいたお仕事。
昨日無事に、9ヶ月間の代講レッスンがおわりました。

いろんな方にお世話になりました。

 

レッスンのお仕事はPMS時代のヤマハ大人以来。
大人だけでなく小学生クラスもわずかにありましたが、どの年代でもほぼマニュアル通りにやっていけば、
システム化されているおかげで、それなりにはなるもので。
伴奏音源なども含め、そういったサポートの多い環境でしかやったことがなかったので、
まっさらな教本、新しいアプローチ、そしていろんな生徒さんたち、、
試行錯誤の日々でした。

 

娘のヴァイオリンレッスンを見ながら結局わたしの研究になっていたり、
娘のリトミックレッスンでも、かける言葉のチョイスやタイミングを盗んだり。
困り果ててリトミックってどんなことやったらいいの?と、教わったり。
娘の先生おふたかたには、ほんとに、とくに、お世話になりました。娘、習っててくれてサンキュー…!

 

 

最後には元の先生にお返しするため、大きく外れて行かないことも目標の一つでしたが、
そこはまだこれからなので怪しいけど^^;
逆に言うとそのために少し後手後手になった感もあるけれど、それでもどうにかこうにか、皆少しずつ前に進むことができたかなと思っています。
みなさん戸惑いも多くあったことと思うけれど、ほとんど休むことなく、きちんと通ってくださいました。
タイミングの関係で曜日移動とか、引っ越しに伴う休会とか、そこはもう仕方ない😭

 

 

子どもでも、大人でも、
音には心の機微が全て現れるし、それはどんな初心者でもそうで。
そこを細かく観察して、よく見ていくとふと、その人にとっての解決法や、求めるものの明確化や、良い誘導の言葉が見つかるのですが、
今までの経験などが全く役に立たない場面も多く、全く手が抜けない仕事で。
言葉での会話はそんなにしないけれど、演奏していくことで、超個人的なことを小さな部屋で繰り広げているような。
こんなことやってたらクタクタだよー、どうにかならないかなと思いつつも、結局手抜きの方法は見つからず(笑)
ベテランの先生ともなるともっと効率的で、ささっと指示して、どんどん上手にしちゃうんだろうなー、、と、ないものを欲しがって悩んだりしましたが、
でもわたしはわたしで、非効率的でいいんだよなー。と気付いたりもしました。

 

 

手強かったのはとにかくちびっこ(笑)
当たり前だけど最初は警戒心!トゲトゲの岩石みたいな感じで体当たりしてきて
うわあどうしようと思っていたけれど、
子どもには全てお見通しだからこそ。
だからこそ私も本気で接することができたし、
最後はちゃんと仲良くなれて、よかった。先生が変わったからかいままでレッスンにならなかった子も、ヴァイオリンを弾いて帰ることが習慣になってくれて、それが一番嬉しい。
そして女子、意外と掴めなーい。女子の良い意味での面倒さも、実感✨

 

 

復帰してからいままで、自分がまず楽器を持つことで精一杯で、音楽を手段として何かを伝えることが、わかっていても全く出来ていなくて、演奏でもまだまだなのに教えるなんてどうしたら、と言う日々だったけれど
一区切り付いてようやく、自分の演奏や音楽のことを、言葉や音で誰かに伝えることの意味を見つけられた気がする。それだけ、当社比でほんの少しは、進歩したんだなと言うことで(笑)

 

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そして今日目覚めて、山ほどのプレゼントを手に帰ってきた昨日のことをまた思い出したり。

(冷蔵庫にもたくさん)

 

 

 

レッスンが日曜だったので、少し機会の減った演奏仕事、これからまた頑張ろう。

教えることについてもほんとにまだまだ一生勉強なので、これからまた機会があればぜひ続けていきたいと思っています。

 

最後になりましたが、お教室のスタッフのかた、店舗スタッフのかた、たくさんのサポートありがとうございます。
運悪く同じ日に稼働のNちゃん💕

そして多くの先生方も、時に世間話、時にレッスンの悩み、きいてくださってありがとうございます。


近所にいるんだね!会おうね!なんて声かけてくださったお友達。日曜仕事なのー?残念!なんて、ありがたいこと言ってくださったり、
なんやかんやみなさんに気にかけていただけて、とても嬉しかったです!

 

 

これからもまた頑張ってまいります
どうぞよろしくお願いします。

 

榊紫

20180730

ほっとして、いろんなことがゆっくりになる。

9か月間見守ってくれてありがとう。

 

ひとまずここに。

これからゆっくり御礼にうかがいます。

 

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おまもりに来てもらった

ヒミキヨノさんが丁寧に取り出した石に

ひとまず感謝の気持ちを込めて光を。

何枚か撮ったら、この一枚は石が微笑んでるような気がして。

別にいいアングルじゃないけど、なんとなく。

 

昨日帰ってきてからぼうっとしていたけど

最近つけていなかったこの石に手が伸びて

 

箱をあけたらいつもと変わらず笑っていた。

至福のとき。

先日

新宿行ってジャズ聴いて娘が踊り狂った話

を書いたんですけど

 

 

その時にですね

たまたま。

ええたまたま。

出会っちゃったんです。

 

わたし、音楽って

楽しいよね!きれいだよね!イケイケだね!

っていうのも、もちろん好きなんですが

 

表面的なことだけにとどまらずに

聴いていてものすごく訴えかけてきたり

音色がもう泣きそうだったり

ひとつひとつ丁寧に音や言葉や世界を紡いでいたり

そんな音楽にとても弱いです。(音楽だけじゃないですが)

 

弱いのですけれど、かといって

いわゆるファンです!みたいに(超違和感あってあまり言えない単語)

音源集めまくったり追っかけをしたり、とか。

(私にとっては依存)するわけではなくて。

ああ、すてきなものもらっちゃった。と、

自分に取り込むタイプなのですが

(燃費良し)

(近年ますますドライになりました)

(冷たいよねって言われます)

(ですよねー)

 

 

 

ごくたまに、ゆさゆさっと。

ぶるぶるっと。

揺すってくださるアーティストさんに出会います。

 

 

っていうヴォーカリストさん。

ちほさん。

の音楽。

 

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すんごく気の良い美人さんで

うちのダンジングクイーンもいじり倒してくださってありがとうございました。

 

ヴァイオリンさんもいてはったら、行くしかない。

 

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おみ足ほっそ。

 

 

そしてもう私の野生の勘は大当たりで

もうね、なんて丁寧に紡がれた時間だっただろう…っていう(語彙力)

ちょっとこれ人生変わっちゃうかもしれないねって思いました(語彙力)

 

 

相手のことをたくさん想って選んでくれた、

いっぱいの贈り物をたくさんいただいたような気分。

きっとご自分に素直で、どんな時も向き合う勇気をもっておられるのだろうなと。

とっても素敵な時間でした。

育児が、とか仕事が、、とかから、離れるのではなく

むしろどんな時間もいつだってそばにあって、

それがすべて私なんだなぁと。

そういう意味での、

現実逃避ではない、いつだってそばにある、幸せな時間。

 

 

 

1ヶ月経ってようやくちょっと記録がてら。

いろんな音楽があるけれど、

生きてきた、生きてゆくひとたちの弱さや強さ、

狡さややさしさ、悲しみや喜びを。いろんなかたちで、

丁寧に追っていけるような表現者になりたいと思います。

そして、そんな演奏会やライブにこれからもたくさん行きたい。

 

 

 

 

色々発見も

among my souvenirs (想い出)のイントロが

ドルドラの「想い出」だったり

(pf杉浦さんのアレンジかと思ったら

もともとそうだったんですって)

例えばこんな感じ↓


AMONG MY SOUVENIRS by Ben Selvin 1927

 

 

偶然のなせる技なのかもしれませんが

こんな素敵なことがあるなんて。

たまたまに至る経緯を仕組んでくれたY氏に感謝。

 

 

 

向き合いつつ、たまには逃避もしつつ、バランスよく。

毎日が至福であるように。

 

 

ありがとうございます。

ラトレさん@わいわいフェスタでした

今年も

おおた・子育てわいわいフェスタに

出演させていただきました!

 

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雨の日、朝1番の出演でしたが

たくさんのお客様が集まってくださいました!

いやー朝の出勤の時に晴れてくれても困る!と思ったけど

本番の時間も思ったより降らなくてよかった。


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わいわいフェスタの打ち上げ笑

いきなり打ち上がるって


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演奏後。

左から、わたし、企画演出演奏歌踊りトーク!のようこせんせい、ピアニストひろまさせんせい。

 

過去記事にも書きましたが

ラトレさんのコンサートは、リトミックの活動をたくさん盛り込んでいます。

 

いつも、子どもさんが飽きずに楽しんでもらえるプログラムをようこせんせいが編み出してくれて、

それを、3人でどうやったら楽しんでもらえるか悩みながら、形にしています。

とはいえ、本番は毎回なにが起きるか!

子どもたちがどんな反応をするか?!

どんな進行になるのか?!!!

いつもほんとにドキドキですが、

楽しかったよ!と言ってくださる大人のかたや

神妙な面持ちでハイタッチに応えてくれる子どもたち(笑)を見ると

一安心。

そしてまた頑張ろう!と思うのです。

 

今年もたくさんの子どもたちが

手拍子を打ってくれたり

「ねこ!うし!」元気に答えてくれたり

バスにのって揺られたり

みんなで飛び跳ねたり!

 

一緒に楽しんでくれてありがとう!

 

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音楽ってなんかいいな!と思ってもらえたら

嬉しいです。

 

また来年も楽しみです♫

 

 

おまけ

いつもリハーサルではお客様担当のムスメ

反応が完璧な5歳児なのでありがたい…

そりゃまあ5歳だからね…
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最近ちからもちになってまいりました

 

 

 

⭐️演奏よてい⭐️

 

7月

16日 ストリングスアンサンブルアヴァンツァーレ サマーコンサート@豊洲シビックセンター

 

9月

9日 厚木交響楽団定期演奏会@厚木市文化会館 ブラームス/シンフォニー4番他

 

 

7月いっぱいまで山野楽器さんでレッスンしています。
出張レッスン、演奏依頼ほか、お気軽にお問い合わせください。
mailto → info.yukarivn⭐️gmail.com (⭐️→@)

 

 

コミュニケーション

※以前note https://note.mu/noskemon/n/n55d9ff546762

のほうに投稿したもので、だいぶメンタルが渦巻いている時のものなので基本の考えは変わっていないけど感じ方が暗い。また変化があるのだろうけどその時のためにもこちらにも転記します。

そう、感じ方が変わると、起きていることは同じでも、解釈が変わるから、自分の世界が変わる。

(いまの感覚はまた改めて書いておきたいと思う)

 

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ひとりっ子あるあるの

何でも自己完結が割と可能で

『お腹すいた』とかの

主観でしかないことを

誰かに伝える、

誰かと共有する意味が

今までわからなかった。

最近ようやくわかった、それは。

というのを以前

読んだのだけど、

 

まさにそれ。

共有することに

実存的な意味は無いのだけど、

『お腹すいた』と言うことは

他人とのコミュニケーション、

でしか無いわけで。

ちなみにそういうのとても苦手で。笑

あーお腹すいた!とか、

個人的な感覚について

そこそこの相手には

あんまり言わない。  

 

でも年々ますます

コミュニケーションを取りたいと

思うこと、

思う人、

思う環境。

せばまって来てるような気も

しないでも無い。

安心して過ごせる相手にはちゃんと

『お腹すいた』と言っている自分もいるけれど、

もともとあまり

他人との関わりのことばかりを考えて

生きていないし

意識してどうこうしようとかも無いし

(連絡網がないあまりに

災害の時に真っ先に死にそうだけど)

自然と近づいて、自然と離れる。

自分に合った人がそばにいてくれて、

合わない人はちゃんと離れていく。

ここ2、3年で

いろんな人に会ったけれど

ちゃんと

ダメな人は綺麗に居なくなって

好きな人しか周りにいない。

なんというか美しい。

人生は短いし、

つまらないことや心の痛いことや

意にそぐわないことに

時間をさいているのも勿体ない。  

 

最近チリチリするのは

この

勿体ない

ということ。

それは、ほんとに、勿体ないのかなぁと。

疲れてしまうような

コミュニケーションだったり

全くわけのわからないことを

自分が濁っていくような感覚の中でも

仕事をするべきなのかとか。

それは

勿体ない時間ではなくて、

勉強のため、経験なのかなぁとか。

(多分違うんだよ。と、

チリチリの奥のかたく澄んだ気持ちは

いつだって正直で、

それがまさに、答えなのだけど。)  

 

もう少し

いろいろ喋った方が良いのかなぁと思うけれど、

やっぱり

立ち居振る舞いだったり

普段発する言葉だったり

ちょっとした時に見え隠れする本音だったり

そのあたりから

喋れる相手っていうのがもう

絞られてしまって

(私に対して

思っていただくことについても

それは全く同じだと思う

話せる相手と認証してもらえなければ

私のほうも

コミュニケーションの相手にすらならない)

 

結局はやはり

少ないけれど

わかろうとしてくれる、

言葉が聞こえてくれる、

友達が居てくれさえいれば

それで良いのかもしれない。  

 

ゆかりさんは

言葉の使い方が

意味の重みとイコールなんですよ、と。

言葉の意味すら考えずに

ぽんぽん発する人と

価値観が合うわけないじゃない。

 

大丈夫ですよ。そう言われて

そうか、と思うと同時に

また面倒な事をしているのかもしれないと

 

そういうつまらないことを考えるのも

私らしいというか。

 

目に見える価値に対してしか行動しようとしない、

ただのケチ、とも言う。

面倒くさがりとか。それだな。