ゆかりでございます

ヴァイオリン弾きの日記。

現実

結果から言うとその人にはこのあとすぐに会えて(何だったんだ)、今もとても仲良くしていただいているのだけれど。

 


会いたい人がいた。ずっと会いたいと思っていた。なかなかそれを言いだせなかった。会いに行こうと思えばいくらでも、行けた。でも行かなかった。ずっと行きたいと思っていたけど、それを行動にうつすことはしなかった。

 

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ライブのまず譜読みが四苦八苦

 

あるときに私の残りの時間はどれくらいなんだろうと思った。思ったところでわかるわけないんだけど、ちょっと思ってみた。
そうしたら、やりたかったけどあきらめたいくつかのことに対する後悔みたいなのが湧いてきた。

 

 

ずっと頭を使って選択してきたこと(このほうが誰かに喜んでもらえる、このほうがみんなが楽しいだろう、このほうが将来お金に困らないだろう、つらい思いをしてやるのが仕事だ、誰かのためにやってると言ったほうが周りが納得するだろう、etc)が意外にも自分にはおもろない選択だったこともわかった。それでいいという人はそれでいいんだと思う。でも私はそれでいいと言いながら、あとで人のせいにし続けてきた。

その、会いたかった人とのことも、その人のせいにして、誰かをわるものにして、やりすごしてきた。それが間違っていたとは思わないけれど、誰かのせいにする選択は自分を苦しめることに気づかなかった。

それで結局、あきらめたこともたぶん、多い。

 


でももう、いろんなことを誰かのせいにして生きるのはもうやめたかった。まわりがこうだから、世間体がきになるから、ふつうはこうだから、恥ずかしいから、親がこうだから、子どもがいるから、プライドが傷つくから、傷つけられるから、アイツがいるから、先生がこうしろって言ってるから。


なによりも

こうやってずっと人のせいにし続けて、もしかしたら明日死ぬかもしれない時に後悔するのはやだなと思った。自分で選ばなかったことを後悔しながら死ぬのはちょっとなぁと。

それから自分の気持ちをまず優先してみることをはじめた。

 


まわりのことはそりゃあ気になるけど(いろんな人たちと一緒に生きているのは事実であり、ありがたい)、それはさておき、自分は今どう感じているのか。
もちろんそれを抑えることになっても、今、自分は気持ちを抑えていると自覚しながら。

 

そうやってきづいたこと。会いたいと思いながら会おうとしていなかった、会えない現実を作っていたのは自分だった。

 

 

まわりの目が気になる人間でよかった。なんだよ、なーんだ、わたしすごーく自由だ。と、思えることが多い。

あと何度も言うけどやっぱり、人って優しい。自分が思ってるよりずーっと。

 

 

2017年5月以降のお仕事募集中です。
演奏、レッスン他、随時対応します。s.attirer☆gmail.com(☆→@)
⭐️出演予定⭐️
【2016】
9/23 厚木交響楽団定期演奏会/ヴィオラ厚木市文化会館
10/30 べるべっとないふTwinsBirthdayLive/ヴァイオリン(黄金町視聴室その2)
12/11 厚木交響楽団メサイア/ヴィオラ厚木市文化会館
12/23 クローズド/ヴァイオリン・ヴィオラ(座間)
【2017】
1/14&15 ニューイヤーコンサート/ヴィオラ
3/29 ensemble noccaly /ヴァイオリン(表参道アーニーズスタジオ)
4/23 厚木交響楽団定期演奏会/ヴィオラ厚木市文化会館

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