ゆかりでございます

ヴァイオリン弾きの日記。

いくつか

相手がいてくれるからこそ、

自分はこんな人間であったか、こんな一面もあるのかと、

自分の輪郭がはっきりする。
嫉妬深い、

甘えた、

わがまま、

おそろしいほどに冷酷、

強がり、

優しい。

自分の存在だけでは意外とわからない。

人と接することで違いがわかり、良いことも悪いことも、色鮮やかになる。

愚痴は多少なりとも、吐けるなら吐ききってしまったほうがいいこともある。

あまりも熟成させた愚痴はもはや、とどまることを知らない。

長々と続くようならばそれはもう、自分の眼の見え方を調整する時だ。

そんなものにとらわれている時間は、意外ともうそんなに残っていない。

負の感情は持っていたらダメということは全く無く、人間には感情がある。

認めて、そして手放してしまえばいい。

手放さなくてもそれがいいならいい。

悩みたい時だってある。

悩んでいれば前に進まなくていい、決めなくていい、怖いことしなくていい

そういう時も必要。

 
 
マイナスなことを言うのにはエネルギーがいる。

聞く方も然り。その言葉を放つほうの癖、言い回し、

それらが自分にとってのダメージにならないことを、ある程度は知っていると楽だ。

相手に自分の足りないものを埋めてもらおうとするのではなく、

今あるものに足してもらえばいい。

わたしはオプションでこれをプラスしたいからよろしく、と言えばいい。

マイナスだと思えば誰もが何かしらどこか欠けている。完璧な人間などひとりもいない。

 

察してほしいのに、こんなにも態度で示しているのに、何もしてくれない。と言うくらいなら、

具体的に言う。とにかく言ってみる。


相手に、何かを差し出せと言うのなら、まずは自分から何かを差し出せばいい。

言ってくれるのを延々待つくらいなら、これやって、と言えばいい。

聞こえないなら何度でも。

トライ&エラー。
 
自分の感受性くらい、自分でまもれ、ばかものよ。

まさに。